日本文化と折り詰め

折箱をはじめとした容器・包装資材・パッケージの総合メーカー

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聖徳太子の時代に遡る「折箱」の歴史。木具師と曲物師の技術が融合して誕生。

 折箱の起源は、西暦600年頃のこと。

聖徳太子が、当時中国大陸にあった随の国からさまざまな文化を輸入したときに、朝廷への献上物をのせるために使用した台紙が始まりといわれています。

 材料は杉・桧などを柾目に割り削った板で、「木具師」が製作。紙の代わりにお経や記録を書いたりしたので、経木(きょうぎ)ともいわれました。
 一方、わっぱを中心とした容器を作る「曲物師」の技術によるお盆や折敷(おしき)が、上流 このように、木具師の作る経木の技術と、曲物師が作る経木の技術がドッキングして、折りの箱が生まれたと考えられています。

神社仏閣用から食器としての利用へ。華やかな江戸文化が生んだ折箱文化。

 台紙は初め、神社仏閣用の折敦や三方、反物台などに使われていました。
 食品容器として用いられたのは安土桃山・織田信長の時代頃。戦争の携行食や物見遊山の弁当容器に使われました。
 これらは漆を塗り、何回も使えるようにした高級な「漆器」で、消耗品としての折箱ではありませんでした。
 実用的な折箱は、江戸文化の燗熟期、芝居見物や花見、紅葉狩りなどのレクリエーションの全感期に、芝居小屋や料亭などを中心に普及しました。芝居の幕間に食べた折詰の弁当が、「幕の内」の語源のようです。
 この頃は、丸太を柾割りして幅を決め、角を木釘止めにしたもので、現在の折箱に近いものになっています。

駅弁の誕生は、明治時代。量産体制への移行が始まった。

 明治時代に入って全国に鉄道が敷かれると、汽車の中で食べる弁当が誕生しました。
いわゆる汽車弁、駅弁です。
 最初の鉄道が新橋・横浜間に開通したのは、明治5年9月12日。
明治天皇が試乗された日には、祝賀会に参加した数百人の関係者に、折箱入りの折詰弁当が配られたという記録が残っています。
 このようにして折箱の弁当が普及しだすと、「折箱屋」の看板を掲げた専門の折箱業者が出現。割り機による「へき折」も出てきました。
 しかし、鉄道網が発達し、折箱の需要が拡大してくると、量産に向かない割り機では需要に対応できなくなってきました。
 そこで明治の中頃からは、銀台で削る厚経木の製造へと改良されていきました。

世界中、どこをさがしてもない。折箱は日本特有の生活・食器文化。

 折箱のような食器の文化、それを利用した生活文化は、世界中どこをさがしても同類がありません。
 つまり、折箱は日本独特の食文化を担ってきた日本特有の食器で、テイクアウト、ワンウェイ容器の草分け。
 ゆとりや遊び・歴史・文化・本物を取り入れ、日本人の知恵が生かされた、アメニティパッケージであるといえます。

 現在は、木の他にプラスチックや発砲スチロール、紙などの素材も加わり、形もいろいろ工夫されて多くの種類が使われています。